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もうだめ というのと 劇評について

『桜姫』をみてから暫く、七郎&お十のことで頭が一杯でした
(結局偽りの夫婦のまんまなんだろうかとか、女郎屋さんに七郎迎えにいったのだろうかとか、そうでなきゃお十がかわいそうだとか、でも女郎の身じゃつりあわないわっみたいな一波乱がありそうだとか諸々…)
駄目すぎる

他にもっと考えなきゃいけないことがあるだろうに。『冥土の飛脚』新口村が泣けて泣けてしょうがなかったとか、朝日新聞の先行で申し込んだ中村屋兄弟の錦秋公演は取れているのだろうかとか。
……
やれやれ。夏が来ても絶賛歌舞伎づけですね。将来いったいどうしよう

そういえば授業で伝統芸能を見て劇評を書けというのがあった。
今まで見てきた中で、やっぱりとても衝撃的だったのは勘三郎襲名興行の『道成寺』だったけれど、これはもう劇評にならないからあきらめる。
私にとって観劇というのは「好きだから見に行く」「面白そうだから見にゆく」という大前提があるので、こと襲名披露などは見ただけで満足してしまうところが大きかったのです。それを、いまさら冷静な目で批評しろなど無理ですわい。好きなものはどうにもしようがないようで。
今日、前回録画に失敗した芸能花舞台の『三響会』を見たら、ザ・グレート・批評家の渡辺保先生が解説員として出ておりました。カッコいいー&ちょっと怖い。(笑)
彼の昔の著作やらを読み漁っていたら、「一年かけて作ったものは一年かけて批評しろ、というのは出された料理をみてシェフの苦労やらを考えろというのと同じことで間違っている」とか「劇評は舞台の採点ではないのに、それを勘違いしている連中が多くて困る」(大意)とか書いてあって、なるほどそりゃそうだと思った。そして、批評家というのはなんとシビアな職業なのかとも思う。保先生に限らず歌舞伎の批評家さんというのは多分に歌舞伎が好きなんだろうに、評する論ずるの視点で歌舞伎を見るのは、果たして楽しいことだろうかと考えてしまう。…って、余計なお世話ですねどうも。
つまるところ私にとっては、こと「役者を見に行く」面も大きい歌舞伎で、劇評を書けってのがじつに難しいというわけです。まあ、考えすぎなんだろうけど。
だからって全然興味ない公演を見に行っても、書く気も起こらないもんだし。うぬぬ。

■三響会は、勘太郎・亀治郎・七之助の三丈(←なんて言い方があるのだろうか?)がかなりかっこよかったですが、田中伝左衛門・伝次郎・亀井弘忠兄弟の鳴り物と長唄がマジ最高だった。ちきしょう、邦楽ってすてきだわー
by lowoolong | 2005-06-26 00:15 | 日暮
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