幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門

26日(昼) Bunkamuraシアターコクーン
演出:蜷川幸雄
出演:堤 真一 木村佳乃 段田安則 中嶋朋子 高橋 洋
    田山涼成 沢 竜二 松下砂稚子 他

幕末グラフィティのせいでほとんど寝ずに行ってきました、三度目のBunkamura。
どこもかしこもコンプレックスと愛と憎しみで満載の、深刻にシリアスなお芝居でした。琴線に触れる痛さです。

藤原勢に追われもうかなりやばい新王軍の頭目・平将門は頭を怪我してこともあろうに「自分は将門を追う者である」と思い込む。混乱する影武者たちと、事態を必死に収めようとする参謀・三郎、影武者の中から新しい将門を作ろうとする将門の愛人・桔梗、一行はさらに絶望的な迷走をし続ける。

うう…暗い話だな…
将門(堤真一)は陽気に狂ってて「将門ー、まさかどはどこだー?」というノリ。こんなのさっさと見捨ててどこへなりと散り散りバラバラになるほうがよっぽど建設的なのに、彼の周りの人たちはそれが出来ない。信仰としての将門、伝説としての将門、愛憎の対象としての将門。本物の将門が狂っているうちに、彼らの中で「将門」という存在がどんどん重く、なのに空虚になっていってるような印象を受けた。

誰がどんな言葉をしゃべっても必ず誰か(将門以外)をグサグサに傷つけてしまうという雰囲気にしてやられました。誰か、というのはそれをしゃべる本人もで、さらに痛々しいのはほとんどみんな(将門除く)がその発した言葉の効果をわかっていながら、諦めのように叫ぶからでしょうかね。聞くほうも、聞いて傷つくことに麻痺しているようで、ああ痛々しい!!

そしてその言葉とは逆の感情が考えるまでもなく伝わってくる感じがする。棘だらけ。
かつては血盟の仲間同士だったのに、その「仲間」という枠だけは変わってなくとも意味合いが「敵」にも近しいものになっているという殺伐なグダグダ感がすごい。

狂いの将門が「将門」として追っていたのは、自分の影というのはもちろんだけど、三郎の影というのもあったんだろうと思う。三郎が将門を無二の友人として愛しながらも、身分というコンプレックスで卑屈に退いていたように、正気の将門も利発な三郎に対してかなりのコンプレックスを抱いていたのでしょう。
「将門のことは俺が一番よく知ってるんだ、恋人よりも、本人よりもだ~!」
もうおまえはそういうことを言うなよみんなの前で…(泣)

あれですね、愛憎は表と裏とか言いますが、悔しいとか憎たらしいとか好きだとか殺してやりたいとか生きてて欲しいとか、そういう衝動というのはもう区別なんか本当はつけられるものじゃないのじゃないかと思います。三郎や桔梗たちはどこかで、そういう区別をつけることもやめてしまっているように思います。将門に対してや他の人に対しても。
まあ、なんだかんだとゴチャゴチャ言ってますが、感動的に絶望的だったわけで。
ラスト、ただひとり「将門」を追う将門が、将門伝説の語り部として去っていくのが鮮烈に皮肉っぽい。

役者陣の演技が、凹凸なくひとつの世界観をつくっていて良かった。段田安則すてき。
あと、舞台美術がものすごかったです。かなり高い階段状の舞台に、いきなりバラバラバラと落ちてくる小石、また積もっていく雪。前の席に座っている人は結構大変なんじゃないかと思いました(羨ましい)
最後のほうで、天井から何が釣り下がってるんだろうと思ったら、逆さ吊りの観音でした。ふ、ふきつな…!
要所要所の拡声器を使用した音や、ヘリコプターの羽の音は、もう逃げられないと言う閉塞感をより高めている気がします。拡声器で連想するのは「君たちはもう包囲されているー」って言う文句などですが、圧倒的に“多勢に無勢”感が強い。ヘリコプターは“すべてを見られている”といったような。あっちは余裕。こちらは袋の鼠。またしても絶望。うーむ、やりきれませんね。
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by lowoolong | 2005-02-27 01:01 | 演劇
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