大雨、と「方舟」
23日は歌舞伎をみてうひゃうひゃしながら授業に出て、図書館を出ようとしたところとんでもない大雨が降ってて驚きました。
バケツをひっくり返した~という表現では追いつかないほどで、天が割れたよう、とでもいうのですかね。アスファルトに跳ね返り霧の如くの雨粒と轟音。あっという間に冠水する排水溝。すれ違う人たちが「なんじゃこりゃ!」とか「うひゃー」とか普通に独り言を言っていた…漫画のやう 今日もまた夕方からひどく雨が降り、わたしは折悪しく吉祥寺で道に迷っていたのでたいそう腐れた気分になりました。あれだな、常からどえらい方向音痴なのに「あーもうこの道だ、絶対この道だなアハハ」と思い込んでがんがん進んでしまうという癖がいかんのだな。ちくしょう、なんだあの地図。 まあそんなわけで最近ひどく雨にたたられているのですが こと23日の雨の降りっぷり(?)に、一瞬「おお!『方舟』だ!」と少なからずゾッとしました。すぐにやんでよかったです。それにしてもゾッと仕方がなんだか偏っているような。 止まない雨、終わる世界。 今、「輝ける未来」が失われたのは、他の何のせいでもなく、あなたの、わたしの、人類そのものの脳みその、一つ一つの脳細胞の、想像力の、力不足のせいなのだ。(『あとがき』より) 確か「ディープ・インパクト」とか言う映画も洪水による終わりをモチーフにしたものでしたが、ああいうのがパニックを乗り越えたハッピーエンドと愛を約束されているのに対し、『方舟』は「この期におよんで希望だと!?」と、客観的で醒めた、そして現実的であるがゆえに一番突きつけられたくない言葉を吐いてきます。パニックも愛も形無しです。まあ、そうだよな。 しりあがり寿の『小説真夜中の弥次さん喜多さん』で、いちばん印象的かつ凹んだエピソードが、触れるとどんどん生きることにうしろめたい気持ちになっていく「水」で浸された「水の宿」編だったんですが――たしかにびちょびちょ浸ってくる水というのは、無意味に遣る瀬無いし憂鬱だし、浄化ではあれど高揚ではありえない。絶望、また終末の1パターンとしては実に有用だと思う。なるほどノアの伝説というのは説得力があるものだ。 しかし方舟に乗るものは選別される。その選別を受け入れられない、あるいは別の次元に達してしまうというのが実際のところだろうな。 『方舟』と題された、静かな終末を描いたこの作品における方舟はどこか。 谷川俊太郎の「三つのイメージ」の“水”のイメージを思い出した。あれもまた、どえらく素敵な詩でございます。『方舟』とそれを連想するような大雨に当たったいま、また読み返せば前とは違った感想を抱くような気がする。 あなたに火と水と人間の
by lowoolong
| 2005-05-25 02:17
| 日暮
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