後遺症

白拍子花子の健気さ――演目的にこの表現はあっているのか?――が頭を離れない…胸が詰まる。これって恋でしょうか(いろいろ倒錯していますね)
「よかったんだよぅ」と人に言うたびにむけられる、「まぁこの子ったらしょうがないわね」みたいな憐憫を含んだ眼差しが痛い今日このごろ。痛いな

そういえば本屋で新たな「中村屋」な本を二冊見つけました。

「襲名十八代」 中村勘三郎
あれっすね、スポニチの「勘九郎かわら板」をまとめたものらしいです
野田秀樹(大奥さま…v)の襲名おめでとう寄稿がなんか面白かった。「あのひとの話はよくわかんないでしょう、勉強してないからね」って、野田秀樹じゃなきゃ言えんなー

しかしサブタイの「これは勘三郎からの恋文である」ってのはなんだ。なんだその羞恥プレイは。買えるかバカー!!
(いろいろ自意識過剰ですね)


もう一冊は
中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義
中島 岳志 / 白水社




はいはい
「中村屋」ってだけで「なぬぅ」と手に取った私がわるうございましたよ
新宿の中村屋(カレー)なら帯にでもそう書けとry




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弥次喜多 in DEEP 廉価版 (1)
しりあがり 寿 / エンターブレイン
ISBN : 4757722168



廉価版の三、四巻は京極夏彦氏の弁当箱本並に分厚くって廉価ですっげえなと思います
内容はもっと凄かった…
すごいグロテスクでとても凹みましたが、このグロさは生理的、つまり『生きているからこそのグロさ』だと思う。
生きていることは物凄くグロテスクで曖昧で恐ろしくてどうしようもなくて寂しい。

この漫画に関してはよいも悪いもなく、すごいとしか言いようがない。
もっと昔に読んでいたらトラウマ必至だったと思う



弥次喜多inDEEPをよんで「あっ」と思ったのは
私が小中の頃ことあるごとにとりつかれていた、「この世界は誰かの夢で、私はその中の登場人物Aにすぎないんじゃねえか?」というかなり電波な妄想と不安を描き出してくれた作品だということだ。(こんな妙なことを考えるのは私だけかと思ってた…)
生きる(やがて死ぬということ)ってなんてハンパな事態なんだろう。感動したり泣いたり怒ったり、ビリビリするような経験をしてもそれはすべてとるに足らないことかもしれない。
でも、生きるというのはそこにある。それは誰にも否定できない。その人にとってのリアルなんて人それぞれだから(それぞれ、というのはなんてヌルくて優しくて、寂しいことばでござんしょう)

しかしまあ、弥次喜多が途中でいなくなっちゃっても弥次喜多っていうタイトルの漫画なんですよねこれは。短編漫画で弥次さんと喜多さんが出てくるたびにホッとするという…そして最後には弥次さん喜多さんの存在そのものが好きになってしまいます
うーん…変な漫画!!
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by lowoolong | 2005-04-26 21:55 | 日暮
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